稚内の旅

2005年10月29-30日

国内の旅 BACK

ホテルの窓からの眺め 防波堤に時々、高い波が打ち寄せていた 残念ながら日の出は拝めず (7:03撮影)

ホテルの窓から見える稚内港北防波堤ドーム(北海道遺産) 宿泊の稚内全日空ホテル 市内西側の山中腹の紅葉  北角神社 ロープウエーが山頂に続く
 山頂への道路わきは紅葉が見事!  天気が良い日は樺太が見えるいう高台であったが、この日は残念ながら     氷雪の門
山頂から見下ろした紅葉 なだらかな丘陵に広がっていた 山頂からオホーツク海を望む

稚内公園からの稚内市内 この稚内港から利尻・礼文島行きのフェリーが出向していた1時間40分ほど?

戦いは終わった。それから五日、昭和20年8月20日。ソ連の樺太軍が樺太真岡上陸を開始しようとした。その時突如日本軍との間に戦いが始まった。
戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった九人の乙女等は死を以って己の職場を守った。
窓越しに見る砲弾のさく裂、刻々迫る身の危険、今はこれまでと死の交換台に向かい『皆さんこれが最後です さようなら さようなら 』の言葉を残して静かに青酸苛里をのみ、夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた
戦争は再びくりかえすまじ、平和の祈りをこめて尊き九人の乙女の霊を慰む
 昭和38年8月15日
    稚内市長  浜森辰雄
       寄贈 東京都 本郷 新
           稚内市 上田 佑子

氷雪の門の横の碑にはこのような悲しい話が刻まれていた(右の文章は碑中の銅盤に刻まれたいたもの)

稚内公園はなだらかな丘陵にあり、森林公園、
スキー場、市内を見下ろす墓地などが広がって
いた。稚内地区ではあちこちに大型の風力発電
用の風車がゆっくりをまわっていた。
北海道最北端の10月末というのにまだまだ
紅葉が楽しめた。今年は2週間遅いとか

森林公園内の道路脇の落葉松並木 青空が広がった

森林公園中腹の紅葉

 

この日は1000羽到来の表示

春先の多い時期には5万羽くらいの白鳥がやってくる

白鳥は非常に臆病者で餌を出しても首をなが〜く

伸ばしてやっと食べてくれた

一階の市場の蟹コーナー、試食用に大きな足が盛られていた。 2階の郷土料理の店『夢広場』  三色(イクラ、ウニ、ホタテ)丼(2100円)  いくら丼(1,575円)